2010年8月18日

ここは埼玉。原爆の図 丸木美術館

みなさん、こんにちは。PhotographerのTetsuです。
昨日に引き続き今日は埼玉の美術館です。原爆の図丸木美術館

壁一面を覆う大きな作品が並んでいます。
広島出身の夫で日本画家の丸木位里さんと、奥様で洋画を学ばれた丸木俊さんのお二人の合作の大作です。埼玉のご近所にこのような世界的な画家のお二人の美術館があったことに気付かず過ごしていました。平和の非凡ということを痛感しました。
その美術館の中で
武田美通さんの鉄の作品にも感銘を受けました。
戦時中の様子を鉄で表現した作品には人格と、凄みを感じました。
私がアップした画像は、赤ちゃんに最後の乳を与える母と、手に握った手榴弾の安全ピンを抜いたままの数秒の時間を表現した作品です。



















デジブックというものに映像がありました。
それではまた。


(以下引用文)

遥かわが祖国、日本の皆さまへ

私たちは、かつての太平洋戦争中、天皇陛下のため、
お国のためにと戦場に駆り出され、戦死していった兵士たちです。
当時はみな二十歳前後の前途あるはずの若者でした。
空に、陸に、海に、いま思い出すのさえ恐ろしい、あの地獄の戦線で、
私たちは、武器弾薬はおろか、食料さえもが補給途絶するなか、郷土の名誉を担って、
最後の一兵となるまで鬼神も哭く壮絶な戦いをしました。
無謀、不条理な作戦命令のもと、私たちは圧倒的な銃砲火にさらされ、
病にあるいは飢餓のなかで斃れていったのです。
トカゲや蛇、サル、昆虫などは勿論、わが身の銃創にわく蛆まで食べつくしての戦いでした。
私たちの骨は、いまなお、南方の島々や、東南アジア、中国大陸、沖縄や硫黄島、
そして太平洋の海底に散らばっています。
私たちは、みな祖国日本が二度と戦争のない、
戦争をしない平和な国であれと祈りながら最期を遂げました。
敗戦後、日本に新憲法が制定され、その非戦の誓いのもと繁栄を続けてきたと聞いています。
これなら私たちは安心して後世を託し、
安らかな永遠の眠りに就くことができるものと思っていました。
ところが最近になって、私たちが愛してやまない故郷日本が、
再び戦争のできる国になろうとしているとの気配を感じ、
私たちの眠りは破られました。私たちはあなた方に問いたい。
他国に数千万人の犠牲を強い、私たち兵士二百五十万人民間の方々を含めれば
三百四十万人にのぼる命で購ったはずの教訓を忘れてしまったのでしょうか。
何を血迷っているのか!
再び日本が戦争の道を歩もうとするなら、
私たちにとってこれほどの悲しみ、嘆き、怒りはありません。
かつての激戦地に散乱するわが身の骨片を拾い集め、
白骨の鬼となって、私たちは愚かなものに向かって決起します。
どうか私たちの愛する後世の若い人々よ!私たちの死を無駄にしないでください。
そして遥かなる故郷の平和な風景を夢に見ながら、
なつかしい父や母、兄弟姉妹、友人たちの面影に暖かく抱かれながら、
どうか安らかに眠らせてください。

0 件のコメント:

コメントを投稿